ディエゴ・マラドーナ|杉崎達也

杉﨑達哉

2020年11月25日、アルゼンチンの英雄でサッカー界の伝説的な存在のディエゴ・マラドーナが亡くなったと世界中のメディアが一斉に報じました。

1960年にブエノスアイレスで生まれ15歳11ヶ月でプロデビューを飾ったマラドーナはボカ・ジュニアーズ、バルセロナやナポリなどで活躍しました。代表デビューは1977年2月16日のハンガリー戦でした。W杯出場は4度で86年のメキシコ大会では「神の手」ゴールと「5人抜き」ドリブルという今でも語り継がれるプレーを見せ優勝に貢献しました。

数々の伝説を残してきたマラドーナですが、個人的には1993年2月に薬物使用によるブランクから復帰した大陸間プレーオフのオーストラリア戦と94年アメリカW杯が強く心に残っています。
前者は南米予選でコロンビアに敗れ24年ぶりのW杯予選敗退という窮地に追い込まれたアルゼンチン代表を復帰したマラドーナがまとめ上げ、オーストラリアに2戦合計2-1で勝利した試合です。キャプテンマークを付け国歌斉唱後にチームを鼓舞する姿を見たときは鳥肌が立ったのを今でも鮮明に覚えています。

94年W杯ではギリシア戦で相手DFに囲まれながらもゴール前で得意の左足を振り抜きボールがゴール左上に決まったシーン、これは私の中でのW杯ベストシーンの一つです。また、アルゼンチンはマラドーナの復帰で勢いに乗っていくと思っていましたが、グループ予選最終戦後のドーピング検査でマラドーナは陽性となり大会から追放、中心選手を失ったチームもルーマニアに敗れてしまいました。この大会はいろんな意味で衝撃を受けました。

引退後はアルゼンチン代表の監督を務めるなど複数のチームを指揮していましたが、選手時代ほどのインパクトは残すことが出来なかったのかなと思います。

それでも世界中の多くの選手がマラドーナのプレーを見て憧れた人は多かった事でしょう。また彼のことを尊敬している現役選手は多く時代を超えて大きな影響を与えていると思います。90年のイタリアW杯で対戦した元西ドイツ代表ギド・ブッフバルト氏は「(負けたあとの)彼の悲しげな目は決して忘れることが出来ない」と当時を振り返り、アルゼンチン代表で選手と監督して戦ったリオネル・メッシは「ディエゴは永遠だ。彼との素晴らしい時間は生涯ずっと持ち続ける」と述懐しています。

生前マラドーナは「とにかくボールを預けてくれるだけでいい、あとは俺がなんとかするから」という言葉を残しています。このフレーズを言える選手はいるかもしれませんが、マラドーナほどこの言葉に説得力のある選手はいないでしょう。これからは天国で世界のサッカーを見続けてくれる事を願っています。

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